「ジーナとコケシ」でいなべ旅へ③
世代を超えた人の温かさを感じた、阿下喜の夕暮れ
2021.09.20
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八風農園での収穫体験を経て、自作のオープンサンドを食べた我々は、ローカル鉄道・三岐鉄道北勢線の終着駅である、北勢町阿下喜へ。
濃州街道の宿場町として賑わいを見せたこの町は、昭和初期に最も栄え、かつては約100もの商店が並んでいたという。
そんな歴史情緒漂うこの町には、若い家族層を中心に移住者が増加中。県内外から人を惹きつける理由とは……?
阿下喜を散策して夕飯を食べ、いよいよこの旅も終盤へ。
世代間を超えた気持ち良い空気が流れる町・阿下喜
阿下喜に到着した我々は、昭和の面影が今も色濃く残る街並みを散策。坂道を上がっていくと、古くからの商店が並び、どこか懐かしさを感じさせてくれる。この坂道は阿下喜駅から、いなべ市役所新庁舎に隣接する『にぎわいの森』にかけて長く伸びた、町のメインストリート。通りを歩くと時折、藤原岳が顔を覗かせ、阿下喜の町が自然と密接していることを実感できる。
平成15年に行われた“平成の大合併”の際に、藤原、大安、北勢、員弁(いなべ)と4つのまちが合併して、いなべ市となった町。だが、「あげき」という言葉が近年、県内外で飛び交うようなったのは、新たな店が続々とでき始めたことや移住者が増加したことが理由の一つ。町には新たな風が吹き始めている。
坂道の途中、駄菓子屋を見つけたジーナさんとコケシさんは、思わず足を止めた。レトロな店構えに誘われるように、中へと入った。
店内には視界を埋めるほどさまざまな種類の駄菓子が置かれている。
プラモデルの箱が壁一面に積まれた店内。
店に入ると迎えてくれたのは、近藤眞澄さん。約70年前より、代々この場所ではさまざまな商いが営まれていたという。眞澄さんの代になってから、「近藤玩具店」という屋号を掲げ、駄菓子などの販売をスタートした。
2人は駄菓子を見つつ、心は小学生時代にタイムスリップ。100円分の駄菓子を買うと決めた彼女たちは、値段を一つひとつ計算しながら、昔好きだったお菓子たちをカゴに入れていく。「あのお菓子はあるかな」と探していると、数ある中から見つけ出してくれた。
旧旅館を改装した『上木食堂』や『にしまちバインミー』など、阿下喜の町には若い世代の人が始める新しいお店が増え、ここ数年で県外の人達も多く訪れるようになった。「若い人たちが増えて、元気もらってるよ。私たちの世代もがんばらなきゃね」と眞澄さん。地域を昔から支える地元の方々が優しく受け入れ、共に頑張ろうと応援してくれる風土が、阿下喜を"アツい"まちにしている一つの要因なのだと思った。
駄菓子屋で買ったお菓子を片手に、車が通れないような小道を散策。メインストリートから一本中に入るだけで、古い建物に囲まれた裏路地へと誘われるのが、阿下喜の街歩きの楽しさだ。
「なんとなく懐かしくて、ずっと散歩してたくなるような街並みでした」と語るコケシさん。旅も終盤に差し掛かり、2人は満足した様子と少し切ない様子を見せながら散歩を楽しんだ。
坂を上っていくと、目の前に平屋の校舎が見えた。国の登録有形文化財である、桐林館(旧阿下喜小学校校舎)だ。1937年に建てられた校舎は、屋根の真ん中にある小さな塔が愛らしく、玄関ポーチが優美さを見せる。校舎の周りに多くの桐の木が植えられていることから、「桐の学校」と言われていたそうだ。
我々が訪ねた夕方17時頃には扉が閉まっていたが、中には『筆談カフェ』が入っており、音声のない世界が楽しめる空間がある。「喫茶店には入れないんだ」と少し残念な表情を浮かべながら、その美しい校舎を見つめていた。
「寄り添ってるの変ですか?」と笑いながら二宮金次郎に身体を寄せるジーナさん。
気が付けば日も傾き、校庭には長い影が伸びていた。その影を見て2人には校庭で遊んでいた頃の記憶を思い出したかのように、突然影踏みをはじめる。まるでこの地で生まれ育った幼馴染かのような光景だった。
一皿に込められたストーリーを味わう、フレンチレストラン
いよいよ旅もフィナーレへ。旅の締め括りは、2020年10月にオープンしたフレンチレストラン『nord(ノール)』のディナーだ。
三角の屋根が特徴的な建物。2人は阿下喜を歩いてお腹の準備は万端だ。
高い天井に開放的なオープンキッチン。そこでフライパンを握っていたのは、店の店主・西山晴紀さんだ。菰野町で育った彼は、名古屋のレストランやビストロにて料理の修業を経た後、地元・三重県に戻ることを決意。その後、故郷の隣町であるいなべ市の有機農家の元で約1年間、農業の経験を積んだという経歴の持ち主だ。
「農業は昼だけだったので、当時は生活に困っていました。働ける場所はないかと探して出合ったのが『上木食堂』です。24歳の時にアルバイトとして入社し、包丁を握っていました」
こうして“半農半カフェ”の生活を送っていた西山さんだが、約1年後、フレンチレストランを営んでいた桑名の実家に戻ることが決まった。後継者として実家の店で働いて1年も経たない頃、『上木食堂』を運営する仲間から、店をやらないかと声がかかったという。
後を継ぐか、新しい店を構えるか、悩んだすえ決めたのは、いなべでの再出発。昨年秋、『上木食堂』のすぐそばに『nord』をオープンした。
『nord』は八風農園から仕入れた野菜を中心に、地元の野菜をふんだんに使用。フランス料理をベースとした料理を提供している。メニューを開いて早速、『八風農園』と『フライベッカーサヤ』の文字を見つけた2人。聞きなれないフランス語の料理名を見て想像を膨らませながら、それぞれ気になるメニューを注文していった。
暑かった一日の終わりに、ビールで乾杯。
その日、その時しか食べられない一皿に、一同は舌鼓を打った。
食材のルーツを体感したことで、我々は五感全てと、作り手の込めた思いを汲み取る感性で料理を味わった。その一皿に込められたバックストーリーを知り、口にした食事は、他ならない充足感を覚えた。
次々と並べられる料理の数々。中でも「ハモのポッシェ トマトバジリコマリネ」には、昼に収穫したトマトとバジルが乗って登場し、ジーナさんとコケシさんは思わず歓声を上げた。
「今日は八風農園のトマトとバジルがたくさんあったので、パスタの具材やハモのソースとして活用しました」と話す西山さん。大切にしていることについて伺うと、店を開ける当日に仕入れたものから、メニューを考えて提供することだという。
「午前中に採れた野菜のおいしさを、いかに伝えられるかを意識して、メニューをつくっています。旬の野菜っておいしいですよね。野菜がおいしいから、料理がおいしくなる。ただ素材のよさを活かせるようにと、僕は素材をお皿に並べただけなんです」
僕は何もしていませんと、謙虚な西山さん。それは謙遜ではなく、自ら土を触って畑を耕したことがあるからこそ、心から農家へのリスペクトをしている現れなのだろう。
お腹も満たされた頃には太陽が隠れ、かすかな光が窓から差し込んでいた。木漏れ日に癒された今日の午前中、宇賀渓にいたと思うと、昔のことのように感じてしまう。早くもその余韻に浸るジーナさんは、旅を振り返ってこう語った。
「こんなに濃い1日は久しぶりで、どのシーンを切っても記憶に残る日でした。自然の力をいただき、自然と触れ合うために、定期的に行きたいなと感じました。普段にはない生活を体験できる機会。きっと家についてからも、何日か経っても、思い出してうきうきするだろうなって思っています」
続けてコケシさんは、この1日で出逢った人や場所を回想しながらこう話した。
「普通の『観光』じゃなくて、その土地の人と話すことで、より深い理解や楽しみを見つけられました。名古屋からも近いしまた行きたいなって思います」
食事を楽しんでいたら、辺りはすっかり真っ暗に。暖かな明かりを灯す『nord』が、くっきりと闇に浮かんでいるように見えた。
いなべの自然の豊かさ、大切さ、おいしさ、人の温かさーー。五感をフルに使って、いなべの魅力を満喫した1日となった。
こんな世の中でも、旅に出たくなるのはなぜだろう。
いなべを旅することで、誰かの日常が特別に感じたのは、感受性豊かに町の景色を見つめて体験し、気づきを得たから。日常生活から一歩離れてみる。すると、旅から帰った日常の中に、新鮮さが取り戻されたりする。そう思うと、遠出をしなくても、毎日が小さな旅の積み重ねなのかもしれない。
旅は当たり前の日常に、素晴らしい「ものさしと視点」を与えてくれる。旅する心に水をやり、育くむために、やっぱり旅に出かけていきたい。そして名古屋から1時間の距離でも旅になると、いなべで過ごす時間がそう感じさせてくれた。
Powerd by GCI(グリーンクリエイティブいなべ)
今回の旅の仲間
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ジーナさん(@gina_coffee___)|gina coffee
自家焙煎の移動珈琲店を営む。探り探り豆の顔色を見ながら出したい味を模索し、焙煎と抽出。古い物と映画、食べることが好きな28歳。
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コケシさん(@cokeshicakes)|COKESHICAKES
名古屋の工房を拠点に、間借り喫茶やイベントでお菓子を販売。季節の果物や和素材、ハーブやスパイスのお菓子を作っている。自然の中でのハイキングや散歩が好き。
今回訪れた場所
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近藤玩具店
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桐林館
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nord(ノール)
住所:三重県いなべ市北勢町阿下喜2039
公式サイト:https://matsukazecompany.com/nord
この記事を書いた人
fujico(@postrea_fujico)|ライター・フォトグラファー
撮ったり書いたり企んだりする人。世界40ヵ国以上を旅するバックパッカー。大学時代は約1年間スペイン・バレンシアに滞在し、ヨーロッパを放浪。その後、スペイン語の通訳を経験。いま行ってみたい場所は中東。