尾張藩直営の大規模事業として開発された熱田新田。新田には堤防が築かれ数多くの新田村が生まれました。新田堤防は海を押し出すように作られた長大で強固な堤防でした。そうした堤防も新田開発が海に向かって広がっていくと、次の堤防を作るための土取りや、村人が住む宅地を造成するために削り取られて姿を変えていきました。それでも堤防の上に引かれた道は集落の中に取り込まれながら、現在でも道路としてまちの中に存在します。名古屋市学芸員の纐纈さんと一緒に、「なごや歴史探検」アプリを使いながら熱田新田、土古山新田の堤防跡をたどります。このほか、伊勢湾台風からの復興碑や名古屋汎太平洋平和博覧会の平和橋などを見学します。
名古屋の経済と人々の暮らしを支えた熱田新田の面影を辿るまち歩きです。