「美濃路に歴史あり」 関ヶ原に勝利した家康は大坂勢に権勢を見せつける新城の築城を計画します。新しい城をどこに築てるのか?その時家康はどう考えたのでしょう。名古屋台地の上にそびえる巨大な城郭と整然と区画された広大な町人地。家康の脳裏には、美濃路を熱田まで伸ばす経済効果が見えていたのでしょうか。 かくして美濃路は築城や「清須越し」の資材の運搬路として、のちには名古屋の街の発展に大きな役割を担いました。太平の時代になると、美濃路は将軍の上京、公家の下向、朝鮮通信使や琉球使節、お茶壺道中などに頻繁に使われ、流通面でも名古屋経済を支える重要な脇往還となりました。さまざまな時代を見てきた美濃路を歩き、往時の歴史を読み解きましょう。