熱田は熱田神宮の創建にはじまる古い歴史をほこります。いつの時代も人流の交差点として東西の文化の入り口でもありました。中世には空海、最澄などが熱田社を訪れて研鑽をつみ、有力寺院も参集し学問の府ともいうべき様相を呈していました。近世になり東海道が整備されると、海路の船待ちの旅宿・旅籠が増加します。料理を提供する遊興の地として、名古屋の人々の〝奥座敷〞ともなりました。一方で、豊かな伊勢湾の海産物を名古屋に供給し、堀川の舟運による物流は城下町の経済を支えてきました。こうした、さまざまな性格が複合した多面性が熱田の町の神髄といえるでしょう。多面性の断片を探しながら散策しましょう。