永禄三(1560)年五月、織田信長は今川義元を討ち取り天下統一に大きく前進しました。有名な桶狭間の戦いです。その前日の五月十八日、今川方として従軍した若干十九歳の松平元康(後の徳川家康)は、孤立していた大高城に兵糧米を運び入れる大手柄をうちたてます。いわゆる〝大高城兵糧入れ〞です。翌日義元の戦死を知った元康は岡崎城に戻り、今川家から離れて独立大名の第一歩を踏み出します。桶狭間の戦いは元康(家康)にとっても運命の分かれ目だったのです。
今川方の大高城。城を包囲する信長方の鷲津砦(北東)、丸根砦(東)、正光寺砦(南)、氷上山砦(西)の付城。元康はどうやって大高城に米を運び込んだのでしょう?想像をふくらませて訪ねてみましょう。