名古屋城の南には整然と縦横に区画された〝碁盤割〞の町人地が広がっています。江戸時代の名古屋経済をささえた商人の町ですが、実は堀川沿いの〝台地の下の商人〞も名古屋の台所を支え、近代の名古屋経済を牽引してきました。このツアーでは堀川沿いの下町の商人地を散策しながら、堀川沿いの商人がはたした役割を考えます。台地上の商人の多くは清須越の名家で、呉服屋・小間物や薬種業、両替商など看板(ブランド)商売をしていました。一方堀川沿いの商人は、舟運により運ばれてきた塩・炭・材木・米・酒などを販売しました。ここには運輸・流通を担う労働力市場が生まれます。江戸時代に勃興した新興商人の多くは、この円頓寺・新道・美濃路(浅間町付近)で経済力を蓄えました。もともと円頓寺エリアは、堀川と江川に囲まれた地味の良くない土地柄です。しかし堀川や美濃路の流通業が発展することで、小口商売も軒を並べられるようになりました。日本一の駄菓子製造販売の町も、まさにこの土地がらだからこそ発展できた業種でしょう。こんな視点で円頓寺繁華街辺りを歩き、堀川沿いの下町、名古屋のまちがどのように発展していったのか想いを巡らせてみましょう。