鳴海は江戸時代、尾張藩領の東端で、東海道の40番目の宿駅。尾張藩主の多くが、参勤の旅の一日目は鳴海に泊まりました。今回立ち寄る、千代倉歴史館(下郷家)には東海道を行き来した大名の宿帳や、慶長6年、鳴海宛に発行された徳川家康伝馬朱印状が残っています。さらに代々の当主が残したに日記からは、宿場町として栄えた様子に想いを馳せることができます。

下郷家は戦国時代の末に鳴海に移り住み、醸造業(清酒玉ノ井)や新田開発などで財をなし、地域の経済を担います。一方で文化人としての下郷家は、芭蕉、蕪村や池大雅などとの交流でも知られるように、「鳴海文化サロン」を支援しました。下郷家のおもてなしに俳聖芭蕉も何度も鳴海を訪れて俳諧の会を催しました。供養塔、芭蕉堂、利休まんじゅうまで芭蕉の足跡をたどってみましょう。

また一方で、鳴海には縄文時代の貝塚や古墳が多く、古代中世を通じて、東山道・鎌倉街道が通る交通の要衝でもありました。有名な桶狭間合戦の舞台となった、根古屋(鳴海)城跡や善照寺砦・中島砦・丹下砦も指呼の間に望めます。歴史が残る東海道と鳴海宿を歩きましょう。