明治・大正・昭和と街は様変わりしてきた。

衣浦に面した東浦も1906(明治39)年に森岡、緒川・石浜・生路村・藤江の5村が合併下あたりから産業化への波が、江戸から続いてきた「塩田」は「水田」に変え、そして、戦時下に、2駅が統合され東浦駅ができる。知多丘陵の東浦の水田地などの平坦地には、戦前戦後と知多木綿工場は大規模化して東浦駅周辺に10か所の大工場が立ち並ぶ。そして、いま東浦駅周辺の繊維工場跡に、近郊都市の戸建て住宅・マンションが立ち並ぶ。

その中にあって、「大生(たいせい)紡績」は1919(大正8)年創業で、1992(平成4)年に閉鎖されたのちも、ほぼ、建物に操業当時からの時間が残されている。最盛期の昭和30年代には従業員数がピークを向かえ、建物群はノコギリ屋根の工場のみならず、住居群・社員寮などがその当時の空気をとどめている。

わずかな建物のみがリノベされ再現保存ではなく、時間軸とともに朽ちていく建物のその瞬間が見届けられる貴重な体験です。